1枚の、すてきな絵画との出逢い。
パブロ・ピカソ 「海老と水差し」 |
この画は、美術館の創設者・大川栄二氏の自宅に飾ってあったものだそうです。
どこかでピカソの展覧会が開催されるたびに貸出しの依頼があり、
それがあまりに頻繁だったものだから、だんだん煩わしくなってきた大川氏、
ついにあるとき、東京の某美術館に売っぱらってしまったそう(笑)。
たまたまそのとき長期休暇中だった、ある女中さん。
戻ってきて開口一番、
「だんなさま、あのえびの画は、どこへいってしまったのですか。」
「あぁ、あれは、売ってしまったんだよ。」
「...。
...御暇を、下さいませ。」
「!?」
「こんなわたくしにも、悲しい時もあれば、嬉しい時もございます。
あのえびは、わたくしが悲しいときは一緒に泣いてくれました。
嬉しい時には、一緒に喜んでくれました。
あの画がなくなってしまったこの家で、わたしはもう働く気も起きません...。」
女中さんにとって、あの画がそれほど大切な存在だったとはつゆも知らなかった大川氏。
彼女の気に入った他の画を運びこんで、なんとか職にとどまってもらったのだそうです。
一時は手放したその画が今は大川美術館に収蔵されているということは、
もしかしたら、彼女の心も気遣って、のちに買い戻したのかもしれませんね。(そうであってほしいな!)
この「海老と水差し」は、しばしば”いくらピカソだからって、こんな子供の落書きみたいな画が名画といえるか!””ピカソならどんな高値をつけてもいいのか!”とやりだまにあげられる作品でもあります。
でもね、わたしはこう思うんだ。
たった一枚の画が、ある一人の女性の、心の支えになってくれた。
あの画がなければ働けないとまで、言わしめた。
あのえびは、親友として、彼女のジンセイに寄りそってくれた。
これを名画と言わずして、なにを名画というのかなって。
画には、ううん、画だけじゃなくて、
こころをこめた作品には、仕事には、こんなに素晴らしい力がある。
そのことこそに、名誉やお金じゃはかりようもない、価値があるのだと。
えびさんは、大川美術館のいちばん最後の展示室にたった一枚だけひっそりと飾られています。
展示室に入ったとたん目にとびこんできた彼(たぶん、男の子...わたしの印象では(笑)!)は、
瞬時にわたしを、満面の笑顔にしてくれました。
それが、彼の持つパワーであり、
それが、「名画」の答えでした。