姪っ子ちゃんが帰ったあと、春の嵐のあとのようなお部屋に掃除機をかけながらベッドの下を覗いたとき、ついついジェームズhttp://takahashimaiko.blogspot.jp/2013/04/blog-post.htmlを(半分くらい本気で、笑))探してしまう自分がいました。
残念ながら、見つかりませんでしたけど。
姪っ子ちゃんの心の中には、たしかに存在しているらしい、ジェームズ。
彼女には見えて、私にはもう見えなくなってしまったものがある。
逆に
私には成長ととともに見えるようになって、幼い彼女の目にはにはまだ映らないものもある。
子供の彼女と、大人の私。
それぞれに、見えるものと見えないものがあり、出来ることと出来ないことがある。
なんだ、じゃあ、同じ。
子供と大人を隔てる何かなんて、本当は存在すらしていないのかもしれないね。
大人と子供、だけじゃなく、本当はひととひととのあいだに、最初から壁などないのかもしれない。
きっと、そう。
お互いに、それぞれに、違う。ただ、それだけのこと。
いいもわるいもなにもなく、
ただお互いに、
尊敬し合うべき、愛し合うべき、可愛い存在。
ただ、それだけのこと。
2 件のコメント:
ミステリアスな”ジェームズ”のおはなし、とてもかわいくてドキドキしちゃいますね。わたしの部屋にもジェームズはくるのかなぁ・・・。4歳のころのわたしにもジェームズは見えていたのかなぁ・・・。自分も一度は通った道のはずなのに忘れていることがたくさんありそう。教えてもらえることがたくさんあるんだね。
自分とひととの関係をただお互いに違う、ただそれだけのこと、とシンプルに考えることってすごく難しいけれど、そうありたいと共感します。
シンプルなことほど、本当に難しいよね。
わたしたちにとってめっちゃ難しいシンプルをこどもや動物は実にきもちよさそうに、あたりまえに実践しているから、偉大!!っていつも思っちゃうんだ。
コメントを投稿